大和郡山で金魚養殖が盛んに!

lif167-s.jpg1742年に、柳沢吉里が甲斐の国(今の山梨県)から郡山藩に、入部し郡山城主になり趣味として飼っていた金魚を持参し、邸内で飼育しその飼育を家臣に進めました。
江戸中期以降においては、諸説にあるように郡山藩士の間で趣味としての金魚飼育がかなりおこなわれていたようです。

はじめは、藩士の間で趣味として飼う者が多かったが、幕末の頃ともなると藩財政の窮乏につれ下級武士の間では、これらの趣味が内職として、家計の一助となったといわれています。やがて、領内の農民と組み、仲間人を経てこれを行商に託し諸国に財版するという産業形態が生まれ、郡山金魚の名声を高めていったそうです。行商人が毎年郡山から40人前後も出て、相当な利益を上げました。

やがて、大和郡山の金魚商人が販売基地としていた愛知県弥富町も大きな産地になっていきます。江戸の町にも江戸川流域に大産地ができました。
こうした産地では、新品種を導入しての品種改良にも熱心で、トサキン、ジキン、ナンキンなどはこの時代につくられたといわれています。